1987年冬、この世に生を受け、その4ヶ月後にアトピー性皮膚炎と診断。
紆余曲折を経て2025年2月現在、ほぼ完治、コントロールできる状態になりました。
私もインターネットの情報でいろいろな治療法を探し、試してきた身です。
幼少期のアトピーを除いても20年間の戦い。
青春もアトピーに振り回されて色々諦めないといけなかった20年。
ただ、辛かった……だけで済ませたくないので、ブログにします!!
このブログが誰かの参考になって、人生を取り戻せますように。
アトピー発症
1988年2月頃、私が生後4ヶ月の頃にアトピー性皮膚炎と診断されました。
乳児は生まれてから数ヶ月すると乳児湿疹というものが出ることが多いので、それと混ざっている気もしますが……。
今は湿疹が出ても「よく洗ってしっかり保湿」と言われていますが、その頃は今ほど保湿は重要視されておらず、ベビーパウダーの時代。
それは元々皮膚バリアの弱かった私には良くなかったようです。
母子手帳に症状が記録されていました。
- まぶたの湿疹
- 首の後ろの湿疹
小児科で処方されたステロイド外用薬を塗っていたそうです。
第1回脱ステ時代(三基商品と共に)
私が5歳くらいの頃、アトピーの出る箇所は増えていました。
- まぶた、首の後ろの湿疹は継続
- 髪の生え際
- 肘の裏側
- 膝の裏側
- 背中
まぶたは腫れぼったくなっており、肌着の背中部分が点々とした血で汚れていました。
よく親に背中を掻いてくれるよう頼んでいたことを思い出しますし、私自身もよく掻いていたためか右肩の柔軟性が高まり、今でも右肩関節は背中側から左肩を掴める程に柔らかいです。
この頃の私は乙女心も芽生え始め、保育園でスカートめくりをされないのは私がアトピーで気持ちが悪いからだと卑屈になっていた切ない思い出があります。
近所の方の紹介で母がミキプルーンで有名な三基商事の商品を購入していました。
私のアトピー、それ以上に姉の小児喘息で悩みの尽きなかった時に導入された健康食品です。
プロテインやバイオーC、エコー…(今、販売サイトを確認してみたら、数十年前のあの頃とパッケージが変わっておらずビックリしました笑)そこでステロイドの恐ろしい一面を学んだ母は脱ステに挑戦。
保湿とサプリメント(すべて三基商事商品)のみで、脱ステを完了することができました。
5歳という若さゆえなのか、アルバムを見ると脱ステ直後から一見イグアナのような顔をした年長さんの私を経て、小学校に上がる頃にはアトピーがあったとは思えなくらいの美肌になっていました。
これで一安心、と誰もが思ったのですが…
アトピーとの再会
小学生の頃は本当に肌が安定していました。
夏の汗をかく時期に肘の内側に汗疹ができる程度。
それもムヒを塗れば間も無くして治っていました。
しかし、中学2年の頃になるとちょっと人目から隠したくなるくらいのボコボコとした汗疹になっていて、真夏でも半袖の体操着を着ることを避けていました。
(なぜか夏でも長袖のジャージを着るのが学校内で流行っていたので、それはそれでラッキーでした)
そして大きく変化したのは中学2年生の夏、夏休み中に交換留学生としてオーストラリアのダボ市という所へ2週間行った時のことです。
オーストラリアは冬、ダボ市はとても乾燥した地帯でした。
精神的にも緊張していたんでしょう・・・これまでなかった生理痛がひどくなり、ホストファミリーをとても心配させてしまいました。
そしてまぶたが突如カサカサに!!
鱗状にまぶたの皮が剥がれてくるんです。
そして皮膚が薄くなるためか赤みが出てきました。
またまたホストファミリーを心配させることになり、ホストマザーの化粧水を浸した脱脂綿をまぶたの上に乗せたりしてみましたが効果なく。
乾燥地帯のため保湿剤多く販売されており、なんとなく評判のよさそうなものを購入してまぶたに塗りながら滞在をやり過ごしていました。
日本に帰ればこの異常事態はおさまるはず…と期待していましたが、治ることなくまぶたの乾燥&赤みとは今後長いお付き合いとなります。
広がっていくアトピーの症状
まぶたの乾燥にはありとあらゆる保湿剤を使用していました。
しかし一時的なものにしかならず、学校に保湿剤を持ち込んでは塗り重ねていました。
中学3年生の冬には受験が待っています。
私は数学が異常に苦手で、希望の高校に入学できるか不安な日々を過ごしていました。
そしてストレスが最高潮に高まった受験日1週間前のこと。
突如髪の生え際に現れるジュクジュクとした浸出液を伴った湿疹。
そして強い痒み。
ステロイドを処方され、塗ってみるも効果はなく、そのまま受験をし、その日が過ぎ去るとともに湿疹は劇的に治っていきました。
不思議……。
しかし、高校に入学すると新たにアトピーの箇所が増えました。
猛烈に乳首が痒い。
粘膜だし、場所も場所なので掻き毟るわけにもいかないけれど、気づいたらじんわりと黄色い滲出液が。
徐々に範囲が広がり、ガーゼを当てていないと下着にまで浸透してくるのでさすがに放置できないと思い、いくつかのクリニックや総合病院を受診。
ステロイド軟膏と亜鉛華軟膏の湿布を勧められるも効果は出ず。
この乳首とも長いお付き合いに。
猛威を振るうアトピーと脱保湿
短大に進学し、一段と新しい環境へ。
友人もたくさんできて、少し短大生活に慣れはじめた4月の下旬頃、もう顔の保湿が限界でした。
どれだけ保湿をしても砂漠に水をやるがごとく吸収されていきます。
その頃全盛期だったmixiのアトピーコミュニティで調べて見つけた県内の皮膚科医院。
もう私も家族も「標準治療では治らないのではないだろうか…」と思っていた矢先の新たな治療法、
脱保湿。
脱保湿に挑戦した詳細については別の記事にまとめてありますので、興味のある方はご覧ください。
結果としては、短大に入学した頃の保湿を頻繁に繰り返して維持する肌に戻っただけでした。
顔を叩くようになってしまったのが1番のマイナスポイントでした。
就職で本領発揮!亜鉛療法チャレンジ!
短大を卒業し、就職氷河期の名残で苦戦したものの、なんとか地元の派遣会社の事務員として就職することができました。
しかしゴールデンウィークを目前にした頃、またストレスなのか何なのかわかりませんが、症状が悪化。
- まぶたは乾燥を深めて硬化→伸縮性を失って切れる
- 二重が大きくなり(顔がむくんでる時みたいに)、目を開けづらい
- 目を開けるために保湿するも砂漠状態。ベビーオイルを塗り込む
- 肘の内側も曲げられないくらいボコボコとした炎症が出る
- 二の腕に浸出液を伴った貨幣状の湿疹ができる
焦った私はゴールデンウィーク中に自己流で脱保湿を敢行。
結果、一層悪化しました。
顔や首、肘や膝の裏側、デコルテにジュクジュクとした湿疹や掻き傷ができまくりました。
絶望的な気持ちになりながらも新たな治療法を検索。
またもやmixiにて隣の県のクリニックで行われている亜鉛療法というものにチャレンジ。
こちらの治療法の詳細は別記事にまとめてありますので、興味のある方はご覧ください。
治療の結果、日常生活を送れるくらいには良くなりましたが、1回目の脱保湿をしたときから始まった毎晩寝る頃に顔を叩くという行為はなくならないまま。
毎晩顔の皮膚が全体的に鱗みたいに剥がれるホラー現象もそのまま…。
食事療法に精を出した時代
結局アトピーが悪化したことで仕事を辞めてしまいました。
そしてバイトなどをしながら治療をしていくことに。
母がオーガニックなものを好んでいたこともあり、本を参考にしながら砂糖はもちろん油や米を避けてみたり、マクロビオティックなど食事療法を試してみました。
が、ただストレスになるだけであまり効果は発揮しませんでした。
ちなみにこの食事療法のせいか分かりませんが、未だに食事に興味が持てなくなってしまった自分がいます。
そして再び標準治療へ
20代前半に入った頃、顔の赤みが酷くなり、頭皮の湿疹が酷くなってジュクジュクとしてきました。
脛から膝にかけて貨幣状のジュクジュクとした湿疹も増えてきました。
もう私の中で万策尽きたという感じで、ここはもう基本に立ち返って標準治療をした方がいいのではないか、と思うようになりました。
いろいろ我慢しろとか言われるのもしんどかったし。
自宅から原付バイクで30分先にある総合病院を受診することにしました。
自分の判断で標準治療をするのは初めてなので、また別記事にまとめました。
良かったらご覧下さい。
1年ほど真面目に頑張った結果、思ったほど効果は出ませんでした。
「やっぱダメかぁ…」と思って止める、イコール脱ステになっちゃうんですね、恐ろしいことに。
まだ未経験の地、漢方へ
標準治療を突然やめたのでステロイドならではのリバウンドがやってきました。
人生で2回目のリバウンドです。
さて、どう処置しようか、と。
民間療法もいろいろやったと思ってましたが、漢方はまだでした。
何となく効果が薄いと思っていたので。
でも、色々可能性を潰していかないと諦めがつかないと思い、中医学の漢方薬局へ。
出来合いの漢方ではなくて、私の症状を聞いて漢方を作ってくれるというオーダーメイド制のところへ行きました。
なので保険が効かずお高い。1ヶ月で2万くらいしました。
毎日煎じて食前に飲んでいました。すごく不味かった。
毎回細かく症状を聞いてくれるあたりは病院より丁寧で好感が持てました。
1年くらい続けましたが、標準治療をやめた時の脱ステリバウンドの症状は時間とともに治ったようなものでした。
あまり効果を感じられなかったのでやめることにしました。
どくだみ茶を愛飲する
漢方からの流れで、美容にも効くとか良いことづくしのようなのでどくだみ茶を飲むことにしました。
「おらが村の国産どくだみ茶」というのが高評価で本当に飲みやすかったので毎日、1年半ほど飲んでいたら、偶然なのかなんなのかわかりませんが長く付き合っていた膝のジュクジュク湿疹が消えました。
そして何故かわかりませんが、顔も叩かなくなりました。
ただ顔の赤みや乾燥はそのまま。
5月の悪化ルーティーンと渡米治療との出会い
それから数年は5月に肌が大悪化するルーティーンでした。
ゴールデンウィークが終わった頃、もしや私の湿疹は5月病なんじゃないかと思うくらいその期間にまぶたや首が切れたり、首やデコルテ、その他各所がジュクジュクになったり。
しかし、何をしたって1週間くらい耐え忍ぶと山場を抜けるみたいで、その後1ヶ月ほどかけていつもアトピー肌に戻っていく。
そんなパターンに慣れ始めた2014年の秋、イレギュラーな事態が起きました。
秋なのに、大悪化…。
またもや5月の時のように皮膚が切れたりジュクジュクになり、また顔も叩くようになってしまいました。
「1年に1回耐えればいいと思っていたのに。だんだん頻度が増えて、ひどい時期が1年の大半を占めるようになってしまうのでは…」と不安になりました。
まぶたが切れ、乾燥で皮膚も硬くなってしまうと目も開けられないので仕事を休み、ひたすら横になって何か新しい治療法はないのか調べていました。
すると、ある人のブログにアメリカまで行って治療したという記事があるのを見つけました。
医療関係者が書かれているブログのようで、内容は分かりやすくかつ専門的だったのでとても信憑性がありました。
海外へ治療に行くなんて今まで考えたこともなかったですし、お金だってこれまでと比にならないくらいかかります。
そして、私の場合は治るかなんて分からない。
それでもこの先生きていくには治さないと、それ以上悪くならないようにしないと生きていけない。
そう思って渡米治療に踏み切りました。
これまた詳細は別記事にしっかり書いていますので、よければぜひ!
現在の状態について
上記の渡米治療は私にはとても合っており、お陰さまで中学生以来、得た事のなかった普通の肌になることができました。
とはいえ、私の体質が変わるわけではないので、超敏感肌、アトピー体質の肌であることは変わりません。
吹き出物の出来やすい人がケアを怠らないように、お腹が痛くなりやすい人が胃腸を労るように、注意して日常生活を送る必要はありますが、それによって普通の肌を維持することができるようになりました。
昔はデルモベートみたいな強いステロイドをローションのように使っても治らなかった湿疹。
今では早期対処すれば赤ちゃんでも塗れるくらいの弱いステロイドでも治ります。
私の周りにも軽度アトピーの人がいて、「うちもアトピー。湿疹できたら塗るからロコイドが手放せないん」って言ってる人を見て、「ロコイドで治る程度ならいいやないか!」と疎ましく思ってしまうくらいでしたが、それよりも軽度でいられるのです。
ほんと、こんな人生が来るとは。
ただ、アトピーを治す方法は人それぞれだと思います。
何を強制するつもりもありませんし、否定するつもりもありません。
ただ、私がボロボロ、汁が垂れる肌でポロポロと落ちた皮膚たちと一緒にベッドに横たわっている時、その状態から抜け出す道を教えてくれたのは経験者のブログたちでした(あとmixi)
私もその一つになって、アトピーによって人生の真っ暗な中を歩いている人の一助になれば、と思います。
風評被害にならないように、今まで受診した病院等の場所や名前は伏せさせていただきます。
もし紹介した病院等に受診してみたいと思われる方は、お問い合わせ、もしくはTwitterのDM等からご連絡いただければお答えできますので、お気軽にどうぞ!
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